「CINEMA塾」第1回作品
わたしの見島
演出:「CINEMA塾」+原一男

 

“個”から“共同体”へ

 これまで執拗なまでに“個”にこだわってきたかにみえる原一男監督(「ゆきゆきて、神軍」「全身小説家」)が、「CINEMA塾」の塾生と共に、共同体意識とドキュメンタリー映画の考察を実践すべく山口県萩市沖45キロに浮かぶ“見島”で初めて“共同体”にキャメラを向ける。  映画は見島全景の空撮に始まる。その後キャメラは、新造高速船「おにようず」の雄々しく魅力的な航行を追い、入学式を迎えた学童や成人式を迎えた青年の楽しげな雰囲気に浸り、塾生と島民との関係を描く鬼ヨウズづくりとヨウズ上げの胸躍るような昂揚感を捉え、そして見島の人々それぞれの『わたしの見島』を語る姿に真摯に向き合い“懐かしい人”の笑顔を捉える。
 企画、制作から上映までの活動を人材育成型制作集団「CINEMA塾」と映画祭実行委員会、萩市等が連携し共同体として支え、完成した映画『わたしの見島』は、映画づくりにはキャメラの前の対象としてだけではなく、キャメラの背後の共同体を知ることも重要であると問いかける日本映画では初めての試みである。

「CINEMA塾」とは

「CINEMA塾」は、95年8月の第2回HAGI世界映画芸術祭で新しい時代の映画人を育成する目的で、塾長の原一男の<活動屋宣言>を受け活動を開始した。塾長の原は日本のドキュメンタリー映画を代表する監督である。彼は言う「今、日本映画は低迷している。それは日本国自身が低迷しているという事だ」と。また、「60年代、70年代のエネルギーを持つ活動屋魂を引き継ぐ映画人を育て、我々が学んだことを伝えたい」と、塾開講時に語った。塾の課題は、日本の根底にある共同体意識の考察と、映画における「ドキュメンタリーとフィクション、そのリアリティ」の考察であった。その後96年「プロデューサー論、演出論」、97年「助監督論」をメインに取り組み、そのテーマの実践として98年「CINEMA塾」夏期集中合宿にて萩市の離島・見島で制作されたのが『わたしの見島』である。1999年夏に第1回「CINEMA塾」作品として完成させた。

いまという時代の、ひとつの息づかいの正確な記録。

佐藤忠一男(映画評論家)
 見島は山口県の萩市の沖の島である。小さい島ではあるがそこには漁業も農業もあり、小学校も中学校もあって、立流にひとつの社会が形成されている。問題はその社会が、過疎化の進行によって共同体としての機能にいろいろ支障が生じてきていることである。若者は高校進学を機会にほぼみんな島を出てゆくし、若者がいなくなれば島の行事もしきたりどおりにはできない。どうしたらいいか。  こうしていま、ひとつの共同体がそのありかたを変えようとしている。どうしようもなく変わりつつあるのだが、どう変わるべきかみんなで悩んでもいる。その悩み方の全体を丸ごととらえようとしているのがこの映画である。島じゅうのあらゆる立場の、できるだけ多くの人々たちとつきあって、いまという時代のひとつの息づかいを正確に記録しようとするのだ。丸ごと、というところが、これまでちょつとなかったところで、その意欲が生新さとういういしさをもたらしている。
「CINEMA塾」第1回作品
わたしの見島
演出◎「CINEMA塾」+原一男
製作◎HAGI世界映画芸術祭実行委員会
撮影◎原一男
録音◎川嶋一義
編集◎岡安プロモーション
構成◎小林佐智子
音楽◎田村信二
題字◎三輪龍作
配給◎「わたしの見島」製作上映実行委員会
1999年◎16mm◎カラー◎100分