第53回カンヌ映画祭
監督賞受賞作品
第13回東京国際映画祭シネマプリズム公式参加作品
2000年カルロビパリ国際映画祭/
2000年ニューヨーク国際映画祭/
2000年トロント国際映画祭 正式出品作品
ヤンヤン 小学生のヤンヤンは、 監督・脚本:エドワード・ヤン「?嶺街少年殺人事件」「カップルズ」 出演:ウー・ニエンジェン/エレン・ジン/イッセー尾形/ |
「?嶺街少年殺人事件」をはじめて観たとき、 エドワードとは、数年前に台湾で出会った。ひょんなことから一緒にオムニバス映画を作ろうという話で盛り上がり、それはやがて「Y2Kプロジェクト」というレーベルに発展してゆく。香港からスタンリー・クワンを招き、単なるオムニバス映画から、もう少し広いテーマを模索する、「何か新しいもの」を指向するサークルヘと姿を変える。 僕らは東京で何度もミーティングを持ち、いろんなテーマについて語り合った。言語の違いはあっても、僕らの間に内面的な部分にギャップはほとんどなかった。結局僕自身は、このサークルの中で作品を残すことはできなかったが、その後につながる多くの素材を得た。最近取り組んでいる「リリイ・シュシュのすべて」も、このエドワードたちとのミーティングに刺激されて着想したストーリーのひとつである。 映画を創るプロセスには無数の選択肢がある。監督という仕事は、この選択肢を数限りなく選択してゆく仕事でもある。ふりかえれば無数の選択肢の痕跡が得体の知れないオブジェを形成している。それは監督の試行錯誤の残骸でもあり、それ自体が映画のウラの姿とも言える。そしてそこには作家自身が免れられないある種の癖がこびりついているものだ。癖というのは、本人にとって必ずしも歓迎できるものでもなかったりする。 ああ、またこっちを選じまったよ、というようなことはよくある。 どうもエドワードとは、そういう癖がよく似ている気がしてならない。 それは個人的に会って話しているぶんには全然気づかなかった部分だ。しかしそれぞれが撮影現場というフィールドに立った時、無数の選択肢に恵まれた時、身体を動かしながら、無意識のうちに出てしまう癖。時には厄介なものだが、それが逆に作者の体臭を醸す要因ともなる。 創造の世界においてオリジナリティという概念なんてディベートの足しにもならないとは、常日頃の実感としてある。しかしもし映画にオリジナリティなんてものが存在するとしたら、この種の『癖』のことなのかも知れない。これも常日頃思うことである。 岩井俊二 いわいしゅんじ:映像作家。代表作に「Love Letter]「スワロウテイル」「四月物語」など。その他、インターネットやCM等、多岐に渡って活動。現在は2001年公開予定の「リリイ・シュシュのすべて」を制作中。ヤン監督の交友関係から、「やんやん夏の想い出」では、予告編演出など積極的なエールを贈っている。 |
その時、私たちは気づくはずだ。 現代の台北を舞台に、都市に住む人々の現実と彼らが直面する問題をみずみずしく、リアルに描いてきた監督エドワード・ヤン。「恐怖分子」(86)「?嶺街少年殺人事件」(91)「エドワード・ヤンの恋愛時代」(96)「カップルズ」(95)と、常に台湾の若い作家たちをリードし、アジアン・シネマ・ムーブメントの先駆者と称される彼の、集大成ともいえる傑作が登場した。2000年5月、新ミレニアムの幕を切って開かれた第53回カンヌ映画祭に出品されたこの作品は、みごと監督賞を受賞。世界中のジャーナリストは透き通るような美しさに魅了されるとともに、涙を浮かべ、そして絶賛の嵐をよせた。 Story ヤンヤンは、優しい祖母、友人と共にコンピューター会社を経営する父NJ、母ミンミン、そして高枚生の姉ティンティンの5人家族で台北のマンションに何不自由無く暮らしている。ところが、叔父の結婚式の日を境に一家に様々なトラブルが起こり始める。 祖母は脳卒中で昏睡状態に陥り、そのために、母は精神不安定になって新興宗教に救いを求めるようになる。父の会社は倒産の危機に立たされ、友人との間にもストレスが溜まり始め窮地に立たされる。そんな時、偶然にも初恋の人と再会することになった。一方、姉は、隣家の少女のボーイフレンドから手紙を預かったのがきっかけで彼と付き合うようになるが…。 Director's Notes 人生で起きるいくつかのことは、数字の1+2と同じくらいとても簡単である。私は1980年にフランスのリベラシオン紙が、カンヌ特集の付録として世界中の映画監督達に問うたシンプルな質問を思い出す。「あなたは、なぜ映画を撮るのですか?」私の答えは、その質問と同じくらいシンプルだ。「多くを語らなくてすむから」映画監督が語る最高の言葉とは、映画の表面ではなく、多分内側に存在するもののはずだ。この映画は人生における1+2と同じくらいに、とてもシンプルである。私はこの映画を見終わった観客が、まるでただの友だちと一緒にいたかのような気分を味わっていて欲しいと思う。もし彼らが、「一人の映画監督」に出会ったような印象を持って映画を見終わったとしたら、私はこの映画は失敗作であったと思う。 (エドワード・ヤン 2000年4月9日 台北にて) |