「CINEMA塾」テキスト  
 
鬼ヨウズ
 
 鬼ヨウズとは見島の冬空に舞う凧のことで、白地に黒の目、吊り上がった太い眉毛、厳(いか)つい鼻、顔半分をも占める大きな口を持つ鬼の絵が描かれ、紅白に塗り分けられた兵古(へこ/尾)を垂らしている。夫婦に初めて男の子が誕生したとき、その子が無事に成長することを願って年末に家族や親戚が集まって共同で作り、正月、天気の良い日に一族で揚げる。ヨウズが空高く揚がれば揚がるほど縁起がよく、その子は元気に育つと言われている。その後ヨウズは、家に持ち帰られ、男の子の眠る部屋の天井に吊り下げられる。大きいものは畳6〜8枚分くらいあり、描かれた鬼は男の子を見守り、男の子は鬼を毎日見ることで強く育つ。さらに鬼の目には泪を現すひらひらした房と呼ばれる飾りが付けられており、男の子は鬼の流す泪を見ることで情け深い子供に成長するのだと伝えられる。「『鬼が空から睥睨(へいげい)して、皆さんの幸福な姿を見て喜んで泪こぼしとる。鬼の目にも泪ということばはそれから起きた』と長谷川の爺様(注1)が言うとったと聞きます」。人の子が強さと情けを兼ね備えた人へと成長するようにとの一族の願いが、ヨウズとして具象化され応援歌となる。
 昔から見島の人は、ヨウズを自分達で作った。現在、凧作りの名人は数名いる。絵柄は同じだが作り手により細部のバランスがやや異なっている。例えば多田源水さんの作る凧は「揚がったときにきりりと締まって派手に見える」と孫である一馬さんは語る。源水、天竜、さち、徳利という名の入った凧を島ではよく目にする。ヨウズの作り方にはそれぞれ流れがあり、例えば天竜やさちは江水熊吉さんという名人の流れを引き継いでいる。制作者たちは竹のしなり具合、按配糸の張り方はもちろんのこと、房を付ける位置や目鼻口など細部の描き方にまでこだわる。「私の絵は、口が下がっちょるので間近で見たときは優しいようですけど、空に揚がったときには違う。口元が引き締まり表情が厳しくなる。それと目の玉を円に描くと、遠くへ行くにつれだんだんと小さくなり点になってしまう。楕円は小そうなっても楕円で長いですから点にはならない、線になって輪郭を保つ。それで私は目の玉を楕円に描く。私の絵は高く揚がっても目の玉に輪郭があり、表情がはっきりしている」(天竜談)。
 鬼ヨウズは、親戚縁者たちが持ち寄った傘紙を張り合わせて作られる。かつては接着剤としてご飯をつぶして使ったが、今はのりやボンドが用いられる。枠に使う竹は割って乾燥させる。ロープは漁師からもらう。通常の六畳敷きの形よりも、やや縦長に作られる。その方がスッと揚がっているように見えて、子供が真っ直ぐに育つと言われるからである。「ある子のためにヨウズを作った。揚がるには揚がったがどうも機嫌が悪い、ヨウズが揺れる。一遍降ろして按配糸を直して揚げてもどうもうまくいかない。事実その子は、一年ほどで死んでしまった」(源水談)。ヨウズがうまく揚がるかどうかは、実際にその子の一生を左右すると受け止められている。だからうまく揚がると飲めや唄えの大騒ぎで、誰彼となく酒をふるまう。親たちはその子が幾つになってもその日のヨウズの揚がりっぷりを語って聞かせる。「お前のヨウズは空高く真っ直ぐに揚がったよ。大勢の人が祝ってくれたよ」と。
 テレビが人々の生活のなかに入ってくるまでは、子供たちは凧揚げをしてよく遊んだ。「ヨウズは、大陸から伝わったもので、『ヨウズ(揚子)』という名は揚子江に由来する」と記した文書も伝わる。また赤青黒の三色には魔除けの意味があり、この鬼は島を外敵から守っているという説もある。鬼のような恐ろしい顔を描く凧は、日本海岸にも点々と伝えられている。
 
 
(注1) 長谷川徳四郎さん。幕末・明治期の人。
【文・追谷信介】
 

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