「CINEMA塾」テキスト  
 
進学
 
 ここ十数年の見島中学における高校進学率は、100パーセントに近い。毎月10万円にも及ぶ経費を子供たちに都合しつつ、親たちは苦しい生活の中でも子供の将来を思う。親たちは苦労を厭わないが、結局子供たちは高校を卒業してもほとんど島には帰ってこない。親たちの気持ちは、置き去りにされる。以下、見島中の廣田隆也教諭(注1)へのインタビューを通して、進学とは何かを探ってみよう。
 ここ3年間、見島中学卒業生は全員高校へ進学している。平成9年卒が9名、平成8年卒が5名、平成7年卒が18名、以上全員32名が高校に進学。見島では、働ける職種が極めて限られている。例えば農業、漁業などの第一次産業。それから公務員関係の仕事。これは、安定はしているが極めて求人数が少ない。その他には土木・建設業(注2)や小売業、旅館業などがある。
 見島の子供たちは、萩市の萩高校、萩工業、萩商、萩光塩学園、それから奈古、長門などの高校へ進学し島から離れて下宿することになる。自分の親戚兄弟知人が世話になった人の下宿に決める場合が多い。朝食と夕食それに弁当付きの下宿もある。家賃は1ヶ月につき5〜6万円かかる。さらに授業料が1万5千円から2万円。小遣いその他を含めると月10万円ぐらいの出費となる。そのために、本土より所得水準の低い離島の親たちは、本土の親たちよりも高額の出費を強いられるのである。そのため公立高校志向が強い。
 見島の百姓をして暮らすある老人が「本土の学校へ行くと、もう島へ帰ってこんよ」と何度も語ってくれた。現代においては、子供たちが学校教育を受けることと、地域の一員として育まれることとは、完全に分離しているのである。現実に、高校を卒業した生徒たちのほとんどは島へ帰ってこない。帰ってこなくても仕方がない、という親もいる。人々の転出が止まないこと、子供たちが帰ってこないことは、依然として大問題なのである。かつて、この島には若者組という組織があった。若者組は15〜25歳を仲間とし、年長者が頭をつとめた。組は集落の祭礼関係の世話役で、盆踊り、祭り、芝居、運動会などの行事を受け持って活動する。その他に若者宿というものもあり、宿に集まっては夜通し、4〜5人でいろいろな話をしたという。島の人々に囲まれながら、若者は大人へと成長していく。若者組や若者宿が島の社会の中で役割を果たしていたとき、若者たちが学び成長することは、若者たちがこの地域の一員として生活し、結果としてこの地域社会を豊かにしていくことに直接つながっていた。
 「親は子を高校へやるためであれば、目の色を変える」と廣田教諭は言う。漁師も稼ぎ時には体を壊しそうになるまで働く。自分の子は、高校へ行って幸福になって欲しい。たとえ子供たちが、親たちが住んでいるこの島を選ばなくても。親たちが積み上げてきた暮らしを選ばなくても。
 
(注1) 見島中学校に勤務して4年目になる。本土出身。
(注2) 土木建設業と自衛隊は、島外からの働き手が多い。
【文・追谷信介】
 

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